






| 「越の老函人」第八回北日本文学賞受賞作(井上靖選) | 北日本新聞 昭和49年1月1日 |
| 私の余暇活用記 第一回余暇文化振興会公募論文第一位受賞作 | 『余暇サロン』別冊 昭和50年1月 |
| 『彦根藩公用方秘録』<シルバーマスターコンテスト第一位金賞受賞作> | 彦根藩史料研究普及会 昭和50年6月 |
| 「異聞勝川の鎧」サンデー毎日新人賞最終候補作 (選者:柴田錬三郎、川口松太郎、村上元三) |
『小説サンデー毎日』昭和50年7月 |
| 「本懐の行方」サンデー毎日新人賞最終候補作(「断絶の本懐」改題) ( 〃 ) |
『小説サンデー毎日』昭和51年7月 |
| 「妖怪」サンデー毎日新人賞最終候補作( 〃 ) | 『小説サンデー毎日』昭和52年7月 |
| 「宮王守」グラフィック茶道小説新人賞受賞作(多岐川恭選) | グラフィック茶道』昭和52年9月 |
| 名物刀剣における伝承の発掘と考察 典厩割国宗の場合 (第一回本間薫山刀剣学術奨励基金による研究論文入賞作) |
『研究紀要』平成5年11月 |
| 名物丈木攷(じょうぎこう) (第二回本間薫山刀剣学術奨励基金による研究論文入賞作) |
『研究紀要』平成10年10月 |
井伊館長と甲冑武具
井伊美術館
学芸主任 高橋 政雄
私が井伊美術館(旧中村甲刀修史館)の門を叩いたのは六年半前の冬のことでした。時はちょうど館内の展示品の総入れ替え中で、初日からいきなり収納と飾りつけのお手伝い(足手まとい?)。鎧や刀を間近で見るのも初めて、もちろん触れるのもはじめてです。ゼロからの驚きと勉強の日々が始まりました。
先生の初印象は「お若い」。先生と父が同じ年齢だと知ったときには心底驚きました。剣術をはじめとして体を動かし心身共に鍛える、その徹底した生き様はまさに現代のサムライです。一瞬一瞬が勝負であり、信念を持って日々を過ごすことの大切さを一番に教わったような気がします。
何かを極めようとするには一流のものに数多く接するのが一番の近道だと言われます。その意味では初日からいきなり本物に触る機会を得て、また現在に到るまで日々向かいあう境遇にある私は相当恵まれています。例えば来館者から受ける質問で多いものに「どのくらいの重さなのか」ということがあります。これは簡単なようで非常に答えるのが難しい問題で、例えば「だいたい十kgです」と答えるのは簡単ですが、ではその重さは実際手に持つ、あるいは身に付けるとどのくらいに感じるのかということは実際に触れてみなければ分かりません。まして手にするのはそこらへんのものではありません。一級品のモノばかりなのです。肌で感じるということがいかに大切か、そしてそれがいかに貴重な経験であるかを一歩引いて考えてみたときに痛感します。この経験は先生のもとでしか得ることはできません。
鎧というものは実に様々な要素が複雑にそして緻密に絡んで構成されています。諸先輩方も述べられていますし細かいことは省きますが、当然ながら時代によって大きく変遷を遂げ、また同時代であっても地域あるいは流派によって多様な形態を生み出しています。極めて大雑把にまとめると、時代が縦軸で地域性は横軸となります。これは甲冑に限ることではありませんが、研究とはすなわち両軸の交差点を繋げて線そして面へと広げることだと思うのです。一方で先生のもとで数年を過ごして気づいた重要なことは、先生の言われる甲冑にある独自の「匂い」です。言葉にするのは難しいのですが、無造作に飾られた鎧を見たときでも櫃を開けた瞬間でもどんな時でもその鎧のもつ「匂い」を感じることが大切だということです。これは本ばかり見ていても決して得られるものではなく、絶え間なき研究が深い経験と愛情に裏打ちされてはじめて習得できるものだと私は思っているのですが、先生が感じるその匂いを残念ながら私は表現することができません。知識と経験の両輪を持つこと、そしてそのバランスを維持することが真の研究ではないでしょうか。
さて、井伊達夫先生の甲冑コレクションについて少し触れたいと思います。と言っても正直申し上げてその全貌は未だ私には姿が見えません。展示の入れ替え等でそれなりの数の甲冑類を目にしているつもりではありますが、たぶんまだ全体の数割に過ぎないのではないでしょうか。整理の過程で先生がふと呟かれる「この鎧は二十年見てないな」という言葉に何度驚かされたことでしょう。十年ならまだいい方で、中には三十年といった強者もあります。おそらく全体では三百領以上、とりわけ先生の原点であり最も熱意を傾けられている朱具足だけでその過半を占めていると思われます。
では先生と御出身地である彦根の朱具足の関係にテーマを絞って少し書きたいと思います。今私の手元に『彦根藩朱具足(あかよろい)と井伊家の軍制』という先生の著書があります。内容は朱具足解説にはじまり彦根藩士軍装図、朱具足の源と歴史につての考察、井伊家の軍制、侍帖、武功話まで多岐にわたります。この本の発行は昭和四十五年、つまり先生が二十八歳の時ということになります。物心ついたときから機会あるごとに朱具足を眺めて細部まで記憶していたという先生の第一期集成であり、のちの『井伊軍志』『井伊家歴代甲冑と創業軍史』へと続くその原型といえるかもしれません。
この昭和四十五年頃から先生の執筆活動が活発になります。紙面の都合上すべてを紹介することはできませんが、朱具足に係るものを中心にいくつか書き出してみます。『甲冑武具研究』(日本甲冑武具研究保存会)に「井伊直憲の具足と赤備えの事ども」を皮切りに朱具足関係の論文を相次いで発表(昭和四十五〜四十七)、『近江の史譚あれこれ』刊行(三協株式会社、昭和四十六)、『彦根藩侍物語』『彦根藩士族譜』刊行(ともに八光社・昭和四十七)、『彦根史譚』刊行(八光社・昭和四十八)、『彦根歴史散歩』刊行(八光社・昭和五十)、『彦根藩公用方秘録』『彦根藩屋並帳』刊行(ともに彦根藩史料研究普及会・昭和五十)、『彦根藩軍制秘録』(土泉文庫・昭和五十一)、「近江に伝わる武具」(三話)を滋賀日日新聞に執筆(昭和五十三)、朝日新聞に「井伊直政(あかおに)と仁左衛門」をはじめ彦根史話シリーズを連載(昭和五十七〜五十九)、『愛刀』(刀剣春秋新聞社)に〈採史探甲〉シリーズを連載(昭和六十〜六十一)、『井伊軍志』刊行(彦根藩史料研究普及会・平成元年)、『刀剣春秋』(刀剣春秋新聞社)に〈新採史探甲〉シリーズを連載(平成五〜十)、『井伊家歴代甲冑と創業軍史』(彦根藩甲冑史料研究普及会・平成九年)等々。その他にも各新聞、歴史関係誌等に多くの論文や裏話などを執筆されており、また刀剣関係や小説随筆を含めると膨大な量になります。それら三十数年にわたる発表作品の総集成として『剣と鎧と歴史と』(建仁書屋・平成十一)が刊行されました。
その中でも特記すべきは『井伊軍志』と『井伊家歴代甲冑と創業軍史』です。豊富な史料解析から中興の祖・直政とその部下「赤き鬼たち」の生き様を探り、譜代筆頭井伊家の誕生に迫った『井伊軍史』は彦根藩創業期の本質をはじめて解き明かした大作であると共に「唯一の直政伝記」でもあります。『井伊家歴代甲冑と創業軍史』はその名の通り、井伊家歴代の甲冑を詳細に調査解説しさらに歴史考証を以って検討した研究集成で、渡辺武先生(大阪城天守閣館長・当時)の推薦の言葉にもあるように、従前からの定説や解釈についての誤りを指摘するだけでなく、関連史料・文献等から独自の考察を加えた、まさに朱具足研究のバイブルというべき作品です。
先に縦軸と横軸ということを書きましたが、同じように彦根藩の朱具足についても甲冑研究の専門的観点と歴史的観点の二本の軸を設定することができます。先生も折にふれて述べておられますが、不思議なことに朱具足に限らずこれまでの甲冑研究には歴史的要素を加味し、両者を絡めて考察するということがありませんでした。双方向から考察したのは後にも先にも先生だけであり、敢えてそこに踏み込み探求することがいかに困難な作業であるかということは想像に難くありません。しかしそれによって多くの発見が生まれたのは先生の足跡を辿れば明らかです。
二十代の頃から仕事の傍ら時間を見つけては朱具足や古文書など眠っている郷土の歴史資料を探して研究していたというその長き時間と努力の積み重ねが、甲冑研究や彦根の歴史研究に多大な成果をもたらし、また後輩たちに大きな道筋をつけたことは言うまでもありません。
そして現在は新たな研究成果を加えて「井伊家歴代甲冑と創業軍史」の改訂版を専門誌に連載されており、さらには諸方の要望に任せて「日本の赤鎧」や「甲冑入門」公刊の為の執筆に取り掛かっておられます。
最後になりましたが、昨年平成十七年は私たちにとっても転機の年となりました。四月、先生が旧與板藩井伊家第十七代井伊修氏より名跡を相承、そして井伊美術館の併設、さらに七月には修氏と先生との養子縁組が整い先生は名実ともに第十八代として歩み出されました。決意と情熱を新たに踏み出された先生の姿を間近で拝見するにつれ、私たちもさらに気を引き締めて精進しなければと思う次第です。
普段先生のもとで朱具足をはじめとしたコレクションの数々に身近で接していることから大先輩の方々に伍して栄誉を与えられ、館員および弟子一同を代表して稚拙ながら一筆添えさせて頂きました。

